2016年
9月
15日
木
サン・トロペの秋
別荘の広い庭には真っ青な芝生。パラソル松、ヒマラヤスギ、ユーカリなどの大木が木陰を落とす。
セレブのリゾート地として知られるサン・トロペ。ヴァカンスに欠かせない太陽がまぶしいほど降り注ぎます。真夏は快晴の天候が続く毎日。カラッとした陽光が照らし出す海は透き通っています。夏のリゾート客が去ってしまった9月でも、港やその周辺を散歩する観光客の姿が絶えません。久しぶりに降った雨が止めば、別荘の庭や古い町並みが変わらぬ美しさを披露してくれます。まるでスポットライトを浴びながら、華やかな姿を誇示しているかのようです。
華麗なリゾート地という呼び名が相応しいかもしれません。でも、他のリゾート地と比べると、自然環境が保全されているからこそ、ヨーロッパ中の人びとから愛されているのです。鉄道もなく、交通の便は決して良いとはいえません。地中海を航海する船が嵐を避けて非難した港が昔のサン・トロペでした。17世紀には支倉常長が寄航したという記録が残されています。20世紀初頭は、シニヤック、マチス、ピカソら多くの芸術家たちが好んで訪れた港でもあ
ります。そして、1956年ブリジット・バルドー主演の「素直な悪女」の舞台となり、サント・ロペは小さな漁村から世界的に名だたるリゾート地へと変貌していくのです。
港と高台にある要塞の間に旧市街地が広がっています。狭い通りにはシャレたお土産屋さんやレストランが点在しています。遅いヴァカンスを過す観光客は港に停泊する豪華なクルーザーを眺め、海上で過す自由気ままな一こまを思い描いているのかもしれません。港から要塞まで、露地を足の向くままに登ると、赤い屋根の間から突き出た教会の塔が見えてきます。歩き疲れたら、海の見えるベンチで一休み。目前には絵のような景色が広がっています。そんな少し遅いヴァカンスを味わってみるのはいかがですか。太陽は全ての人の肩に分け隔てなく降り注ぎます。誰もがセレブの一時を分かち合えるような気にさせられるのです。同じ通りに高級ブティックとお菓子屋さんが共存するという、そんな開放感がサン・トロペの魅力かもしれません。
2016年
5月
19日
木
ヴェルドン川流域を歩く
南アルプスを水源地とし、プロヴァンスの山間部を流れるヴェルドン川。その水面の美しさは神秘的で、思わず吸い込まれてしまいそうになるほどです。貯水目的でダムが数箇所に作られ、雨の少ない真夏でも豊な水がゆったり流れています。流域は県立公園として保護され、グリーンツーリスムが盛んです。静かな自然の中でハイキング、キャンプ、MTB、カヌーを楽しむことができます。
景勝地として名高いヴェルドン渓谷の下流にカンソンQuinsonという村があります。先史時代から人類が住んでいた洞窟があり、小さいながら、長い歴史を誇る村です。先史考古学博物館もあり、村の歴史に触れて、古代に思いを馳せることもできます。この村の橋を起点とするハイキングコースは全長約3.3km。ヴェルドン用水*の遺構を川沿いに下り、石の階段を登ったり、元導水路のトンネルを歩いたり、起伏のあるコースです。まず、トルコブルーの水面にそそり立つような白い石の絶壁に見晴台があります。そこからの眺めは雄大で、ハイカーの胸はおのずと膨らみます。
絶壁を縫うように、岩をくり貫いて作られた狭い道は、人がやっと立って歩けるほどです。今から150年前に、固い岩盤をノミと金槌で道を切り開くという苦難の業を成し遂げた男たちの勇敢な姿が思い浮かびます。今は鉄柵があるので安心して歩けるものの、きっと男たちにとっては命がけの仕事だったに違いありません。いかに、プロヴァンス地方で水の供給が町の存続に欠かせないものであったかを物語っています。そんな先人たちの難業も大地にとってはほんのかすり傷ほどの跡しか残されていません。道と導水路の遺構が地形に従い、それに寄り添ううように作られたからです。大自然に溶け込むようなハイキングコース。緑の木々と真っ青な川面が作る景色はハイカーの心も体も優しく包んでくれるに違いありません。
コース途中には、昔の管理人の小屋があります。そこには用水路の歴史や周りの自然を説明する掲示板が設置されています。自然に触れながら、足腰を動かした後、しばし昔へ思いを募らせることもできます。
*ヴェルドン用水はエクス=アン=プロヴァンスへ飲料水を供給するために19世紀に作られた全長80kmの導水路。その一部20kmは岩をくりぬいたトンネル。プロヴァンス用水が開通した1969年にその役目を終える。
2015年
4月
14日
火
コート・ブルー
マルセイユのサン・シャルル駅からローカル電車に揺られること約15分。L'Estaque駅を過ぎる頃からハイキング気分が盛り上がります。車窓からの眺めは真っ青な海と空が遠くに接する水平線。赤い瓦屋根に変わり、緑の松が白い岩山にくっきり浮かび上がります。休日の車内はハイキングに出かけるマルセイユっ子たちで賑わいます。
白い岩山の上を縫うように走る電車はトンネルを出たと思えば、石造アーチ橋を通過し、光り輝く海の景色には目を奪われんばかりです。それもつかの間、電車は再びトンネルへ入ります。まるで、一瞬のうちに入れ替わるスライド写真を見ているかのようです。
コート・ブルーで一番美しい海岸線のハイキングコースはLa Redonne駅からNiolon駅まで約7km、所要時間4時間。波打ち際を通ったり、白い岩山の崖っぷちを歩いたりと変化に富んでいます。砂浜も近いので一泳ぎすることもできます。マルセイユへ戻るNiolon駅発の電車(17時04分)に合わせて一日のハイキングをゆっくり楽しめます。
La Redonne駅で下車した後は道沿いに港まで下り、急な坂を登りLes Figuières(黄色の標識あり)へ向かいます。海が見下ろせる住宅地帯の下を通り、まずAnthenorsの入り江に到着。流木や小石に足元をすくわれながら、波打ち際でしばし休憩。さらに、ハイキングコースは低潅木の繁る斜面から崖っぷちの道へと続きます。歩くこと約1時間、体も温まり筋肉もほぐれ、歩調は独りでに速まります。その後はLes Figuièresの入り江へと下ります。そして、Petit Méjeanの集落とGrand Méjeanの港を通過。この時、ハイキングコースはしばらく一般道路と重なりますが、Grand MéjeanからNiolonまで海岸線に沿った本格的なハイキングコースが始まります。起伏に富んだ地形に加え、入り江が多いので、つづら折の道が続きます。足腰の筋肉がかなり鍛えられることは確かです。潮風に吹かれながら、頭からつま先までリフレッシュ。波と風が浸食した白い岩山、そこにどっしり根を下ろす巨木。しばし、大自然の中にわが身を置くと、まるで文明の利器から解放されたような気になります。そんな感傷的な心を癒しながら、Niolon駅からマルセイユへ向かう車中の旅でハイキングの一日が終わります。
楽しいハイキングのアドバイス:南仏の夏は日差しが強いので、サングラス、日焼け止めクリーム、帽子は必需品です。もちろん足元の準備もおこたりなく。ハイキングの服装で、充分な量の水を持ってハイキングに出かけましょう。ミストラルの吹く日は、風にあおられないよう、悪天候には充分気をつけましょう。なお、コート・ブルーの電車については、ブログ「電車で訪ねるコート・ブルー」をご覧ください。
2014年
6月
08日
日
ゴルドの夏
初夏とはいえ、プロヴァンス地方のハイキングには麦藁帽子が欠かせません。セミの合唱に耳を澄まし、石垣沿いに、一歩ずつゆっくり歩数を重ねます。遠くの村を目指す足取りは軽やかそのもの。その村はゴルドGordes。リュベロン地方で最も有名な観光地の一つ。村に通じる道路から村全体が眺められます。手入れの行き届いた石造家屋がぎっしり階段状に並ぶ全景。精密な模型を思わせるような統一美に目を見張ってしまうほどです。
高さ120mに位置する村からは豊な農耕地帯シャヴァロンChavalon平野が見下ろせます。目の前には、薄っすらと霞すむリュベロン山脈が東西に広がります。なんとも心休まる景色に、足の疲れも忘れ、開放感が体中をみなぎります。糸杉や松の深緑の木々、葉っぱが出揃ったばかりのブドウ畑。そのみずみずしさは、銀色に光るオリーブの葉にも引けを取らないほどです。色も形も隅々まで調和の取れたこの風景は、数百年の歳月を経た地道な暮らしに支えられています。手入れされた自然とそこで営まれる農業。村人たちが何代にもわたって守り続けてきた村は、今も変わらず平穏な時を刻んでいます。
ゴルドから数kmの谷間に、セナンク修道院があります。村から修道院までは、山肌を削り作られた細い道路(一方通行)が通っています。ゆっくりこの山道を下っていくと、山に囲まれた修道院が少しずつ姿を表します。精神性を重んじる修道僧の暮らしをしばし想像しながら、静寂の世界に一歩ずつ近付いてゆきます。ラベンダーの開花時期(6月下旬~7月*)はまるで紫色の絨毯のような畑が目に飛び込んできます。プロヴァンスの真っ青な空に勝るとも劣らないのがラベンダー畑の紫色。もちろん、修道院の簡素な美しさはラベンダー畑を前にして静かな威厳を放ち続けます。
セナンク修道院は「プロヴァンスの三姉妹」と称されるシトー派の修道院の一つです。他の二つの修道院と異なり、修道僧たちが暮らし、神に祈りを捧げる場所です。まさに、修道院が現在も修行の場となっているのです。グループの見学は予約制となり、見学は修道僧の日課の妨げにならないことが条件となっています。
*開花時期はその年の気候条件により左右されます。
2014年
4月
10日
木
2000年の歴史を越えて
フランス最古の都市マルセイユは人口約90万人の港町。ギリシャの植民地だったフォカイア(現トルコのフォチャ)から地中海を航海し、やってきたギリシャ人が紀元前6世紀に町の基礎を築いたのが始まりです。マッサリア(マルセイユの古名)は優れた航海術を誇り、海上交易で栄えます。やがて小高い丘(現ル・パニエ地区)にギリシャ都市が誕生し、城壁が築かれます。その後、ローマ帝国の支配、キリスト教の浸透、十字軍遠征、1481年フランスに併合と、時は移り変わります。にもかかわらず、マルセイユの町は16世紀までギリシャ人が築いた城壁に縁取られていました。
このような長い歴史に刻まれたル・パニエ地区(旧港の西側)は急な坂道や細い路地を見下ろす建物が所狭しと建っています。観光スポットとして注目されながらも、いたって庶民的な雰囲気が残っています。
マルセイユの旧港への入口は幅わずか100m。その両側には要塞が築かれています。その一つサン・ジャン要塞は高い石壁で囲まれ、方形の塔(15世紀建造)が立ち、まさに強固そのものの外観です。入港する船舶を監視し、港を外敵艦隊から守った歴史があります。要塞としての守りを固めるために17世紀に壕(ほり)が掘られます。そこに1845年水路*が通り、サン・ジャン要塞はル・パニエ地区から切り離され、孤立してしまいます。
2013年はマルセイユの旧港が変貌を遂げた年です。欧州の文化首都として、様々なイベントが繰り広げられました。サン・ジャン要塞も数年の歳月をかけて修復工事が行われ、博物館として一般公開されるようになりました。その横には近代建築の粋を極めたJ4が完成しました。コンクリートを鋳型で固めた、魚網のようなカバーが南面と東面、およびトップを覆い、強い日差しを和らげています。遠くから見ると、まるで黒いベールに包まれたガラス張りの箱のようです。J4はLa garérie de la Méditerranéeと称する博物館で、地中海を軸として、西洋文明を石器時代から近代まで遡るという、画期的な展示内容です。
サン・ジャン要塞は中世期から第二次大戦まで続いた要塞としての役目を終えました。超モダン建築のJ4とともに、ミュセムMuCEM**(欧州地中海文明博物館)として新たな役割を授かりました。さらに、ル・パニエ地区ともう一本の橋で結ばれ、文化と暮らしの接点となったサン・ジャン要塞です。
*1938年埋め立てられ現道路となる。
**Musée des civilisations de l'Europe & de la Méditerranéeの略
ル・パニエ地区
ファナルの塔(17世紀建造)
マジョール大聖堂(19世紀建造)
2013年
12月
01日
日
クリスマスを祝うクレッシュ
日暮れ時が少しずつ早まり、あったか~い野菜スープが美味しい12月。カトリックの国フランスはクリスマス一色に染まります。夕暮れの街にはイルミネーションの花が咲き、町の広場には見上げるようなクリスマスツリーが一夜にして姿を現します。石造りの教会もライトアップされ、一年中で一番美しく見える時期です。クリスマスに欠かせないのが、キリスト降誕の情景を伝える「クレッシュ」Crèche。この言葉はフランク語の「飼い葉桶」を意味するkrippaに由来し、家畜小屋でキリストを生んだ聖母マリアがキリストをその中に寝かせたと福音書に書かれています。小さな人形を使ってクレッシュを飾ることが多く、村や町の教会では大切に保存される人形が毎年12月に飾られます。教会の片隅に小枝や藁で小さな家畜小屋があしらわれ、聖母マリアとヨゼフ、そして牛とロバの人形が配置されます。12月24日の夜には、幼子イエス・キリストが、1月6日の公現祭にはイエスの降誕を祝いに訪れた東方三博士の人形が加わります。
一般家庭でクリスマス・ツリーの下に飾られるクレッシュにはサントン人形が使われます。赤土の粘土を固め、焼き上げた後、色づけされたサントン人形は南フランスはプロヴァンス生まれで、「小さな聖人」を意味します。高さ約7cm前後の人形が作るプロヴァンス風クレッシュには羊飼い、漁師、パン屋といった働く人々の人形が登場するのが特徴です。12月にマルセイユで開かれるサントン市はクリスマス前の大切な年中行事となっています。
2013年
10月
15日
火
コロブリエールの栗祭り
モール山塊の『首都』という異名で呼ばれるコロブリエールCollobrières。村は山で囲まれ、約900haの栗林が点在しています。毎年10月、最終の日曜日から数え上げて3回、栗祭りが日曜日に開催されます。今年で31回目を迎える栗祭りは、南仏の住人にとってはおなじみの秋を告げる年中行事。人口1800人余りの山村ですが、住民が一団となって栗祭りに参加する姿には栗への思いやりが表れています。数百年来、村人たちの大切な食糧だった栗が見直され、栗林の再生が推進されています。樹齢100年近い栗の木々は手入れされ甘く大きな栗がたくさん取れるようになりました。
村の栗栽培農家や山羊チーズ農家が今から30年余り前に始めた小さなマーケットが、今では100軒ほどのスタンドが出店するほどの盛大な栗祭りになっています。秋に収穫されたばかりの栗はもちろん、マロン・クリーム、栗粉、栗ビールなど栗の加工品がこのお祭りの主役。特に、焼き栗は甘く、コロブリエールでしか食することができない絶品。赤く燃え上がる炎の上で大きな鉄製フライパンを何度も威勢よく振り上げて、焼き栗が出来上がります。栗祭りを盛り上げるパフォーマンス。
そのほか、ハチミツ、山羊チーズ、肉の加工品、ワインなど地元の特産品が入手できるのも魅力です。栗祭りの日曜日、村は通行止めになります。観光客は村の入口のパーキング(有料2ユーロ)に車を止め、無料のシャトルバスを利用することになります。村を流れる川沿いに立ち並ぶスタンドは、秋の味覚を楽しむ観光客たちで賑わい、身動きができないほどの盛況ぶり。グルメなフランス人たちは秋を味わい、目前に迫ったクリスマスに思いをはせるのです。
2013年
9月
30日
月
ラ・ヴェルヌ修道院
モール山塊(Massif des Maures)の奥深く隠れた場所にラ・ヴェルヌ修道院Chartreuse de la Verneがあります。交通量の多い国道98号線から数十km離れているので、真夏の観光シーズンでも信じられないほど静かです。数百年の歴史があり、創設は1170年に遡ります。数回にわたる火災と宗教戦争で建物は大きな被害を受けました。フランス大革命直後に修道士たちが追放されてしまいます。修道院の変遷はフランスにおけるキリスト教の歴史をも物語っています。しかし、1968年から続けられるボランティアの人々の努力が実り、メセナの寄付金が生かされ、修道院は見事に蘇りました。教会、中庭を囲む修道者の個室など、繁栄していた往時の姿が忠実に復元されています。1983年からベツレヘム修道会のシスターたちが移り住み、ボランティアの協力を得て、一般公開されています。
真っ青な地中海を背にして、サン・トロペ湾からコロブリエールへ通じるカーブの多い山道を進むと、深い山の中腹にラ・ヴェルヌ修道院が見えてきます。勾配のきつい山に突き出したような、台形の土地いっぱいに棟が配置されています。まるで、人を寄せ付けない自然が護る要塞のようです。周りには何一つ他の建造物は見当たりません。コルクガシ、イチゴノキなど、常緑樹が多い山は冬も深い緑色で覆われています。ただ、秋になると修道士たちが植えた、樹齢百年を超える栗林が色づき、季節の移り変わりを知らせます。
2013年
8月
30日
金
モナコ熱帯植物園
コート・ダジュールのリゾート地の一つモナコは高層マンションが立ち並ぶ、総面積約200ha、人口約3万6000人の独立国。海と山に挟まれた狭い国土が最大限に利用されています。石灰質の固い岩盤はグリュイエールチーズの穴のように、トンネルが掘られ、線路や道路が走っています。いくつかの超モダンな建物が新たに加わり、白い街へと変貌を続けています。そんなモナコの熱帯植物園Jardin Exotiqueは開園80年を誇り、サボテンの楽園となっています。育成に時間がかかることで知られる金鯱(キンシャチ)やウチワサボテンの年齢は推定80年以上。人間の背丈の2倍以上の柱サボテンがあちらこちらに植えれている様はまったく見事です。
植物園は絶壁の上にあり、南に面しています。乾燥して暑い夏、温暖な冬(平均最低気温6度)、そんな気候はサボテンの栽培に最適です。また、石灰岩の余熱が夜間の冷え込みからサボテンを護ります。1931年から数年がかりで、巨大な岩の間に階段や橋を築き、つづら折の散策コースが設置されました。100年近い歳月が過ぎた今、白い岩はサボテンの緑色で覆い尽くされています。この天空のオアシスから、モナコ宮殿、港、遠くはイタリアへと通じるリビエラ海岸のパノラマを楽しむこともできます。世界中から集められたサボテンの数々を観賞していると、コンクリート・ジャングルの喧騒が遠ざかるような気がします。
2013年
7月
31日
水
ビベミュスの石切り場
セザンヌの生まれ故郷エクス=アン=プロヴァンス市街地から数km離れ、サント・ヴィクトワール山に連なるなだらかな丘陵地帯にビベミュスの石切り場があります。採石の歴史は約2000年前まで遡り、ローマ人たちがすでに石を切り出しています。そして、エクスに多くの貴族の館が建造された16~17世紀には大量の石が使われました。1501年に設置された高等法院の高職に就く貴族たちが競うように大きな館を建てたからです。ビベミュスの石はモラス(molasse)と呼ばれる砂石で、明るい黄土色。光沢がなく、ざらざらした感触で、暖かみが感じられます。
ビベミュスの石切り場は、長い役目を終え1885年に閉鎖されてしまいます。地表面の露出している石を切り出し、掘り下げながら採石を進めるという方法で数世紀にわたり石が切り出されました。その結果、空洞と垂直の壁が作り出す人工的な空間が、カシや松の木が繁る森の中に遺されることとなります。
職人たちのノミとツチの音が消え、静まり返った石切り場はセザンヌを魅了し、キュビズムの到来を告げる絵画が生まれることとなります。エクスの市街地から遠く、急な山道を登らなければならないことから、セザンヌは画材を置いておくために小屋を1885年~1904年まで借りています(右の写真)。誰にも干渉されず、じっくり自然と向き合って、熱心にキャンバスに向かう初老画家の姿が目に浮かびます。こうして、ビベミュスの石切り場は屋外のアトリエとなるのです。
セザンヌの絵画は当初海外での評価が高かったため、彼の作品はフランス国内には30%しか残されていません。セザンヌのアトリエは裕福なアメリカ人たちの寄付によって不動産開発から救われています。また、ビベミュスの石切り場は画家のジョージ・ブンカーによって購入され、セザンヌの絵のモチーフとなった場所に人の手が入らないように保護されました。1998年、『ポール・セザンヌの記念の場として保存する』という条件でエクス市が遺贈を受け、2006年から一般公開されています。
*石切り場の見学は予約制です。自然保護地区内にあるので、6月1日~9月30日の見学は山火事の危険性が高い日は中止されます。
2013年
6月
01日
土
電車でコート・ブルーを訪れる
マルセイユの北西にあるコート・ブルーは長さ約30kmの海岸線。レスタック丘陵の石灰岩が切り立ち、波に浸食された大小の入江が点在しています。起伏が多い地形のため、海岸線と平行した道路はありません。港湾都市のマルセイユとフォス=シュル=メールの工業地帯の間にあるにもかかわらず、観光開発の波から守られ、他の沿岸リゾート地とは様相が異なります。
奥深い入り江には漁師たちの小船を見下ろすように小さな家々が坂道に並んでいます。
コート・ブルーの海岸沿いを通るローカル線*は、平日13本の電車がマルセイユ-ミラマス間を往復しています。フランスの土木建築史上に名を残したポール・セジュルネの設計により、8年に及ぶ難工事の末1915年に開通。無数のトンネルと石造アーチ橋が交互に続いています。重い石を一つずつ積上げて高さ10mもの橋や土止め壁を築き上た石工職人たちの偉業は文化遺産として、またエコな交通手段として評価されています。もうじき開通100年を迎えようとする線路は補修工事と設備の近代化が進められています。
マルセイユのサン・シャルル駅を出発した後、電車は巨大な港湾設備の横を通り、15分ほどでレスタック駅に到着。赤い瓦屋根の街並みと庶民的な数件のレストランは一昔前のマルセイユの港を彷彿とさせます。、レスタックを過ぎたあたりから、はるか向こうにマルセイユの街が眺望できます。その後はラ・クローヌ駅までコート・ブルーの名にふさわしい青い海の風景が続きます。
*マルセイユ-ミラマス間を結ぶ路線は2本あり、コート.ブルーを通る電車はPort-de-Bouc経由です。
2013年
5月
22日
水
白い山サント=ヴィクトワール山
南仏の優美な街エクス=アン=プロヴァンスの東側、20kmの距離に位置するサント=ヴィクトワール山は標高1011m、東西の長さが約12km。硬いゴツゴツした恐竜の背中を思わせる稜線は石灰岩から成り、小さな高山植物が自生するのみです。特にミストラルが吹く日は、澄みきった青空に白い稜線がくっきり浮かび上がります。山はブドウ、オリーブ、小麦などの畑が見え隠れする豊な丘陵地帯を見下ろすように聳え立っています。
サント=ヴィクトワール山の南側はそそり立つ絶壁が続き、険しいの一言に尽きます。登山ルートは傾斜が緩やかな北側、あるいは稜線の端から登るなど、様々なルートがあります。また、風に吹かれながら、南はマルセイユのベール湖、西はヴァントゥ山を見ながらパノラマを楽しみ、稜線を東西に歩く本格的なルートもあります。
比較的登りやすいのは西側の稜線から登るコースです。北側のビモン・ダム(barrage du Bimont)のパーキングに車を止めます。ダムを横切り、森林を通るImoucha道から稜線へと続くコースで、登りの所要時間は約2時間半です。山の頂上付近には修道院跡があり、さらに岩だらけの急な道を数10m登るとプロヴァンスの十字架に辿り着きます。このコースの標高差は約590m、硬い岩の上を歩くのでトレッキングシューズが必要です。
1989年8月サント=ヴィクトワール山は3昼3夜燃え続けるという山火事で大きな被害を受けました。時速100mを越えるミストラルにあおられた炎が、西から東へと、瞬く間に山の稜線をなめつくしたそうです。山火事を警戒して、6月1日から9月30日までは登山が規制されます。一部のコースは午前11時以降は閉鎖されるので、事前に確かめてからコースを選んでください。
2013年
4月
25日
木
ヴィルフランシュ=シュール=メールからニースまで
地中海クルージングの寄港地ヴィルフランシュ=シュール=メールの港は海が山を削るようにしてできた細長い入り江。海を見下ろすように広がる丘陵地帯に点在する無数の別荘。数世紀の歴史を誇る旧市街地の細い坂道と急な階段。落着いた色合いの屋根瓦と色鮮やかに塗り直された壁。キラキラ輝く海に町並みが明るく映し出されています。
ヴィルフランシュ=シュール=メールとニースは海沿いのハイキングコースで結ばれてます。海と石灰岩の岸壁の間を縫うようにして通る道は全長1.4km。ニース市内からバス100番に乗り、バス停Hôpital Anglais*で下車します。道を数m進むと、右手にハイキングコースへ通じる階段が見えてきます。
長い階段をゆっくり下りると、青い海と白い岩場が目の前に現れます。都会の喧騒から開放され、まるで大自然の中に抱かれているようです。白い岩場は悪天候の時には高波に洗われるので、侵食が進み、ゴツゴツしています。誰からも邪魔されず、海を眺めながらのハイキングの所要時間は約30分。ヴィルフランシュ=シュール=メールにある二つの港のひとつラ・ダルス港まで通じています。小さな造船場やレストランがあり、ヴィルフランシュ在住の人々の憩いの場となっています。その後は16世紀建造の要塞を通り越して10分程歩き、ラ・サンテ港方向へと進みます。坂を登りきると、絵葉書のように美しい旧市街地を一望することができます。
*バス停は英国人の子供たちが入院していた病院が昔あったことからこの名で呼ばれています。
2013年
3月
03日
日
コルニッシュ・ドール
コート・ダジュールの海岸線を通る国道98号線の中で、サン・ラファエルとマンドリュー=ラ・ナプールを結ぶ全長約35kmの断崖道路をコルニッシュ・ドールを呼びます。赤斑岩から成るレステレル山塊と地中海の間に幅3mの道路が1903年に作られたのが始まりです。道路建設にあたり、TCF(Tourning Club de France)と呼ばれる観光開発を目的としたアソシエーションとパリ・リヨン地中海鉄道が積極的に計画を進めました。
19世紀末期は、ヨーロッパの貴族たちがニースやカンヌに別荘を建て、避寒地としてコート・ダジュールが栄えていたころです。しかし、レステレル山塊には全く手つかずの自然が残っていました。さらに、赤い岩肌と真っ青な海が創り出す景色は他で見ることができないものです。西日が岩山に当たるころ赤と青のコントラストは格別の美しさを見せます。サン・ラファエルを起点にマンドリュー=ラ・ナプールへとコルニッシュ・ドールを夕暮れ時に進むのがお薦めです。海沿いの別荘地帯を抜けると、道路の右手には真っ青な海が広がります。小さな入り江やビーチを眺めながら、Agayを通過すると、雄大な景色が目前に迫ってきます。標高452mのPic du Cap Rouxにさしかかるころには、ドライブはクライマックスを迎えます。切り立つ岩山と眼下に広がる深い海に感動を覚えずにはいられません。
2013年
2月
27日
水
ミモザ咲くラ・ルート・ドール
日曜日は、グラースからタヌロンまで、ミモザ満開のラ・ルート・ドールを2CVがパレードしました。途中、ミモザ栽培が盛んなペゴマの広場に、長蛇の列をなす2CVがひとまず集合。ミモザ愛好会の会長さんと会員らの歓迎を受け、ミモザのブーケがプレゼントされました。その後は、タヌロンの村を目指し、ミモザが咲く山道を、「ブッツ、ブッツ」と独特のエンジン音を出しながら、多数の2CVが駆け登っていきました。
コート・ダジュール2CVクラブ主催
ラ・ルート・ドールとはシトロエン2CVの愛好家たちが集まるイベントで、毎年ミモザの花が咲く2月末に週末(土・日)二日間にわたって開催されます。今年は、雪がちらつく生憎の天候にもかかわらず50台ほどの2CVがグラース市内のテラス広場に集合しました。自慢の愛車を見たり、、情報を交換しあったり、熱心な2CVファンが多数訪れていました。
2月23日土曜日の午後は、グラースの近郊を走るラリーが行われました。香水の里というイメージが強い街ですが、丘陵地帯が広がる豊な自然が広がっています。この日は雪景色を楽しみ、2CVの雪道走行性能を体験するというおまけまで付きました。
2013年
2月
21日
木
春を告げるアーモンドの花
南仏プロヴァンスの春はアーモンドの花で始まります。
北風ミストラルの勢力が衰えると、1月でも日差しが暖かく感じられる日が多くなります。冬枯れの木立の間を小さな野鳥が飛び交う中、いつの間にかアーモンドの枝には蕾(つぼみ)がほころび始めます。寒さが緩む頃には、無数の花がアーモンドの木全体を薄桃色のヴェールのようにすっぽり包みます。寒空の下で震えるばかりの木々とはまったく対照的です。このアーモンドの健気(けなげ)さが人の心さえも温めてくれます。こうして冬枯れの景色は一転し、春の幕開けとなります。静まり返っていた野山はいっせいに活気付き、トカゲやヤモリも枯葉の巣から抜け出して、陽光の下で甲羅干しを始めるようになります。